廟堂に立ちて大政を為すは天道を行ふものなれば、些とも私を挟みては済まぬもの也。いかにも心を公平に操り、正道を蹈み、広く賢人を選挙し、能く其の職に任ふる人を挙げて政柄を執らしむるは、即ち天意也。夫れ故真に賢人と認る以上は、直に我が職を譲る程ならでは叶はぬものぞ。故に何程国家に勲労有るとも、其の職に任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官は其の人を選びて之れを授け、功有る者には俸禄を以て賞し、之れを愛し置くものぞと申さるるに付、然らば『尚書』仲虺之誥に「徳懋んなるは官を懋んにし、功懋んなるは賞を懋んにする」と之れ有り、徳と官と相ひ配し、功と賞と相ひ対するは此の義にて候ひしやと請問せしに、翁欣然として、其の通りぞと申されき。
賢人百官を総べ、政権一途に帰し、一格の国体定制無ければ縦令人材を登用し、言路を開き、衆説を容るるとも、取捨方向無く、事業雑駁にして成功有るべからず。昨日出でし命令の、今日忽ち引き易ふると云ふ様なるも、皆統轄する所一ならずして、施政の方針一定せざるの致す所也。
政の大体は、文を興し、武を振ひ、農を励ますの三つに在り。其の他百般の事務は皆此の三つの物を助るの具也。此の三つの物の中に於て、時に従ひ勢に因り、施行先後の順序は有れど、此の三つの物を後にして他を先にするは更に無し。