南洲翁遺訓 - 01

廟堂びようどうに立ちて大政たいせいを為すは天道を行ふものなれば、些ちつとも私を挟はさみては済まぬもの也。いかにも心を公平に操とり、正道を蹈ふみ、広く賢人を選挙し、能よく其の職に任たふる人を挙げて政柄を執らしむるは、即ち天意也。夫それ故ゆえ真に賢人と認る以上は、直に我が職を譲る程ならでは叶かなはぬものぞ。故に何程国家に勲労有るとも、其の職に任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官は其の人を選びて之れを授け、功有る者には俸禄を以て賞し、之れを愛めでし置くものぞと申さるるに付、然らば『尚書』仲虺ちゆうき之誥こうに「徳懋さかんなるは官を懋んにし、功懋んなるは賞を懋んにする」と之れ有り、徳と官と相ひ配し、功と賞と相ひ対するは此の義にて候ひしやと請問せいもんせしに、翁欣然きんぜんとして、其の通りぞと申されき。

南洲翁遺訓 - 02

賢人百官を総すべ、政権一途に帰し、一格の国体定制無ければ縦令たとい人材を登用し、言路を開き、衆説を容るるとも、取捨方向無く、事業雑駁ざつぱくにして成功有るべからず。昨日出でし命令の、今日忽ち引き易ふると云ふ様なるも、皆統轄する所一ならずして、施政の方針一定せざるの致す所也。

南洲翁遺訓 - 03

政の大体は、文を興し、武を振ひ、農を励ますの三つに在り。其の他百般の事務は皆此の三つの物を助たすくるの具也。此の三つの物の中に於て、時に従ひ勢に因り、施行先後の順序は有れど、此の三つの物を後にして他を先にするは更に無し。